阪神地域の多様な芸術文化資源を再発見し、磨きをかけることで、芸術の魅力あふれる住み心地の良い街として住民の地域への愛着を育てることを目的とした「阪神北文化セミナー」が、1月26日、宝塚文化創造館(宝塚市武庫川町)で開催された。
主催は、宝塚市を含む阪神北文化振興団体連絡協議会、兵庫県阪神北県民局、兵庫県地域文化団体協議会。当日は市民ら80人が参加。一般社団法人都市文化観光研究機構(神戸市中央区)代表理事の矢下幸司さんが、「阪神間モダニズム文化再考と、新しい文化による地域づくり、まちづくり」をテーマに、阪神間独自の文化を振り返りながら文化継承の重要性を唱えた。
阪神間のまちづくりは1908(明治38)年、阪神電気鉄道が六甲山麓南斜面に次々と住宅を分譲したことに始まる。「大正から昭和初期にかけて西洋文化をいち早く受け入れ、まちづくりの基盤、建築、デザイン、アート、文学、ファッション、映画に至り、近代的なライフスタイルとハイカラな阪神間モダニズム文化が形成されていくことになった」と、矢下さん。
高度成長期には、阪神・阪急によって野球場や遊園地、ホテルなど多くの施設が誕生したが、阪神・淡路大震災による被害とレジャーの多様化・少子高齢化に影響を受け、甲子園阪神パークや宝塚ファミリーランドなど多くの施設が閉鎖に追い込まれた。「遊園地が華やぐ昭和50年代に小学生だった私にとって、現存していない施設が大半であることに寂しさを感じる。かつてあった夢の跡や心の中にある記憶をフォト記録としてアーカイブすることで、次世代に向けた文化の継承として語り継ぐ段階に来ている」として、2025年開催の大阪万博に連動して地域活性化を図る構想を発表。
「阪神間には、宝塚大劇場や阪神甲子園球場などのアメニティー施設のほか、私設美術館や博物館が21館あり、谷崎文学由縁の夙川、高浜虚子記念文学館がある芦屋川など文学散策もできる。各地の工場や酒蔵などをパビリオン化し、オープンファクトリーとして招き入れるなど、『拡張万博構想・ミュゼ阪神博』として産・官・学・民で地域活性を図り、阪神間が生んだ独自文化を国内外に広く情報発信できる仕組みづくりをしていきたい」と語った。
参加した30代女性からは、「生まれ育った土地なのに知らないことが多かった。これからは地域のことを学んでいきたい」という声が聞かれた。