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【コラム】 思い出のKITAGUCHI 私と阪急西宮球場

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私と阪急西宮球場

 私は昭和31年大阪で生まれた。小学四年生の2学期迄大阪の下町の小学校に通っていたので、その頃の野球観戦は専ら大阪球場でのものであった。当時は南海ホークスの全盛期で、たまたま観に行っていた試合で野村克也がバックスクリーンへ放り込む逆点サヨナラ満塁ホームランを打ったものだから、その後は当然の如く南海ファンになった。

 大阪から芦屋へ引っ越した後は、観戦に行く球場も大阪球場から西宮球場へ移った。甲子園ではなく西宮だったのは、父親がパ・リーグファンだったからだ。当時の阪急ブレーブスは投手には米田・梶本・足立等が居たものの、後に黄金期を築く山田・福本・加藤らは居ない弱小チームであった。当然観客席は疎らで、ビールや菓子類を売る売り子の声が、球場内によく響いた。私が好きだったのは梨で、注文すると売り子が梨を上下から挟む道具を使い、ハンドルを廻し梨の皮を剥いてくれるのであった。その所作の見事さに見惚れていた。また、当時の西宮球場で悪名を轟かせていたファンの野次は、あの独特の濁声で、観客の笑いを誘っていた。

 そんな子供時代の思い出が詰まった西宮球場も、阪急が球団を手放す事となり、やがては球場自体も姿を消す事となった。

 

近藤 健(こんどうけん)

昭和31年10月17日、大阪で生れる。小学校4年生の3学期より芦屋の精道小学校に通う。同校卒業後、六甲学院中学・高校を卒業し、米加州へ。オロニー大学を卒業し、帰国後父の近藤印刷(株)に奉職するも、平成元年(株)学術出版印刷に起業し、独立。現在に至る。

 

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