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【コラム】 思い出のKITAGUCHI ~西宮北口はいつの時代も文化の発信地

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思い出のKITAGUCHI ~西宮北口はいつの時代も文化の発信地

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 「西宮北口」は文字通り、西宮の北の出入口。京阪神に通じる便利な場所だけに、すぐ西宮中央になると思いきや、乗り換え駅としての機能が専らだった。それでも文化投資は様々に行われてきた。

1950(昭和25)年、現在プレラホールのある場所(高松町)に「日芸会館」という劇場が開館。能や歌舞伎や文楽が上演されて、劇団民芸が旗揚げをしている(と同劇団の名女優・奈良岡朋子が「徹子の部屋」で回想していた)。日芸会館はのち東宝系の映画館に変わる。

1950(昭和25)年にはアメリカ博覧会が両度町で催され、跡地は宝塚映画の撮影所に一時期なった。子供の頃、中村扇雀(のちの坂田藤十郎)のロケを見たことがある。阪急ブレーブスの本拠地だった西宮球場では関西交響楽団(現・大阪フィル)のたそがれコンサートや宝塚歌劇団の運動会などがあり、マイケル・ジャクソンの公演には私も出かけた。

 西宮北口が関西全域から連日のように人を集めるようになるのは兵庫県立芸術文化センターが開館(2005年)してから。劇作家の山崎正和(西宮市在住)から指揮者・佐渡裕氏へと芸術監督は交替したが、地域と芸能をつなぐ参与の仕事は私が長年つとめている。 

 西宮球場の跡は西日本最大級のショッピングセンター、阪急西宮ガーデンズに変わった。

河内厚郎 1952年西宮市生まれ。文化プロデューサー。兵庫県立芸術文化センター特別参与、阪急文化財団理事。芦屋市民センター(ルナ・ホール)運営受託者。宝塚市大使。西宮市文化振興財団評議員。つながる西宮 思い出のKITAGUCHIアーカイブス写真展審査員。

 

 

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